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マニュアルを読もうとしない「教えてクン」へ
ブログ「TERRAZINE」の「Level1飛空艇症候群」患者に振り回されないために」という記事の中で、映像系アナリスト小寺信良氏が書かれた「マニュアルを読もうとしない「教えてクン」へ」という文章が紹介されていました。
時としてストレスの原因となる、ある出来事に関する考え方のひとつとして、ご紹介します。

--- 引用開始 ---

 彼ら彼女らは新しいデバイス、例えば携帯でもiPodでもいいが、まずマニュアルなど見ない。とりあえずデタラメにいろいろ使ってみて、行き詰まったら誰か詳しい人に聞く、というスタイルでこれまで生きてきた。

 マニュアルを読むのはある意味負けである。誰のどういう負けかというと、ユーザーにマニュアルを読ませなければわからないようなものを作ったメーカーの負け、という意味であり、そういうものを好んで自分で選んだわけなのだが、それは「ハズレ」であり、「アタシだけ不幸」なのであり、「ムカつく」のである。

 人に聞くというのは、ある意味究極のインタフェースだ。自分が何がわからないかも適当な説明で済まし、あとはあんたが考えて、というわけである。ある意味、医者にかかるということと似ているかもしれない。症状を訴えて、どこが悪くてどうすれば直るかを人に判断して貰う。

 マニュアルや辞書、百科事典など、それを見れば必ず書いてあるはずの情報源にアクセスすることを、疎ましく思うようになってしまっている。検索性や一覧性が悪いからだ。そして答えを調べる過程も、学校教育ではあまり評価しない。

 本当にわからないところ「だけ」がテンポラリ的にわかるようになっても、全体の構造を理解したことにはならない。そのためにはやはりそれに至るまでの経緯や体系を知ることが必要だ。結局、辞書などで調べさせることの意義とは、その調べる過程で得られる付加的な知識も「コミ」なのである。

--- 引用終わり ---

Level1飛空艇症候群」患者に振り回されないために
http://d.hatena.ne.jp/TERRAZI/comment?date=20081105
(「TERAZINE」http://d.hatena.ne.jp/TERRAZI/ の web サイトより)



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